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父親参加の夏休み読書感想文

新学期が始まり、子ども(小学生)が読書感想文の文例を持ち帰ってきた。・・・・・素晴らしい作文だった。

一つは、松谷みよ子『ミサコの被爆ピアノ』(講談社)、もう一つは竹田津実『子ぎつねヘレンがのこしたもの』(偕成社文庫)を読んでの感想文であった。両者とも冒頭に主人公や著者の印象的な一文を引用して状況を簡潔に説明し、そのまま「自分」の体験に重ねていく。みずみずしい感性を表現しながら小学四年生(我が子の学年?)とは思えない老獪な?文章表現で、あるべき読書感想文というものを(今さらながら)教えられた気がした。

より印象的なのは、父親の関与である。「被爆ピアノ」の本を選んだのは「父から、『夏休みは、広島を中心に旅行しよう。』とさそわれたのがきっかけ」で、父が原爆に関連する映画やドラマのDVDを集め、家族で一緒に見たり、祖父母から戦争の体験談を聞いたりしたそうだ。「子ぎつねヘレン」が書かれた家庭にいたっては、夏休みにオホーツク海に行ったそうだ。そして、実際に「ヘレン」がいた場所を見ることで、「淋しくて厳しい自然のある所です。ですがたくさんの命が宿っている所です。・・・・・オホーツクの大きな自然の中にいると、私はその中のただの人間という生き物なんだと思いました。」という感想を引き出している。獣医師の父は、「生きることを最後まであきらめない」という動物のすごさを娘にさりげなく語りかける。

この二つの読書感想文はそれぞれ白百合と玉川の子どもによるものだ。さすが(?!)であるが、教育熱心な家庭には、教育パパが確実に増えている。小山静子(『家庭の生成と女性の国民化』剄草書房、1999年、19頁)は、江戸期の武士家族の父親が子育てに熱心だったこと、そして父親の教育熱が研究対象となってきたことを指摘している。もちろん士族のように「お家」を存続させるために熱心にならざるを得ない時代は過ぎているのだが、そうしたサムライのDNAが生きているのか、それとも熱心にならざるを得ない新しい時代が来ているのか。

この二つの読書感想文があえて選ばれ、子どもたちに(保護者にも読めるよう)配られたのは偶然だったのか、それとも(女性で子育て中の)担任の先生の思いによるものだったのであろうか。

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